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2014年9月~10月の日記

 10月4日 おかしな話
 稲を収穫した田んぼに、今度は小麦を蒔く。所謂二毛作である。同じ圃場で米と麦が収穫できる。無農薬無科学肥料で、素人が栽培しても10a当り年間で約600kg程度の穀物が収穫できる。上手に作れれば1トン近くの穀物が収穫できる。米は自給率100%超えているのに、小麦の自給率は15%程度。おかしな事態が何十年と続いている。お金を儲ける為には色々なからくりが有る。知らず知らずにそのからくりに組み込まれていく。お金を出して、健康に悪いものを口に入れる。病気になって医療費を払うことになる。風が吹けば桶屋が儲かる。誰かのお金儲けのために、自分の人生を捧げたいとは思わない。経済的には貧しくてもそれは受け入れていく。お金のために心身の健康を、犠牲にはしたくない。自分の人生の主人公は自分。経済を中心とした考え方からすれば、おかしな話である。



10月3日 神から紙へ
  おかげさまで、第一弾の稲の収穫が終わった。今年はあえて田植えを遅くし、品種も晩稲に代えた。8月に台風で田んぼは水に浸かったが、未だ出穂をしていなかったので影響はなかった。もしも例年通りだったら大打撃を受けていたと思う。23年の大水害以降不作が続いたが、今年は水害前の収穫量に近づいたと思う。
玄米換算で600kgぐらいかな。後約10a分は15日前後の稲刈りになる。

近所のおじさんは、来年米作りは、しないと話していた。自分も止めたら西敷屋の農地は殆ど荒地になってしまう。どうやら地域で唯一の農業者になってしまうようだ。こうして地域は消滅していくことになる。全国でどれだけの地域が消滅していくのだろうか。地域は消滅してもいいと思うが、農地が消滅していくことに、どれだけの危機感も持っている人がいるだろうか。人間の生命は農地に依存していると言う事実を、どれだけの人が自覚しているのだろうか。地域づくりに取り組んでいる人たちは、沢山いるけれど意識は何処にあるのだろうか。

地方創生担当大臣が生まれたが、経済を中心に考えたら地方『葬制』担当大臣になってしまうだろう。既に水面下では地方創生という餌に群がる人たちが、お金を求めて動き出しているだろう。貪欲な人たちの餌が過疎化から、創生に代わっただけのことにならないように、願うがどうだろうか。

仕組みや制度をどんなに変えても、人間の考え方価値観が変わらなければ同じこと。人間としての心のあり方を創生しなければ、お金に振り回されるだけのこと。
   地方の疲弊は加速するだろう。悩み苦しみ傷つく人たちは増えることになるだろう。

    銀行券という何の価値もない紙幣に翻弄されるのは、いい加減にやめた方がいいと思う。日本の歴史の中心は、神から途中お上に変わり、現在は紙に代わっただけのこと。もう悪夢から覚めてもいい頃だろう。自分は畑を耕し生きていく。
     



9月28日 無償の連鎖
  5日前に腰痛が再発して、丸3日間は寝たきりの状態だった。今は少し歩くことも出来るようになった。外では昨日から稲刈りが始まった。滞在者4人と助っ人数人で刈り取ってくれた。思えば昨年も腰痛で稲刈りが出来なかった。腰痛の原因は自分では解っている。自分の弱さであり甘さである。

 よく無償の連鎖について質問されることがある。例えば今回の稲刈りには、延べ13人が関わった。13人に日当計算をして、賃金を払うと約10万円が発生する。
世間の常識を基準にすれば、当然のこととして10万円を支払うことになる。とすると収穫した米を換金したくなる。つまりお金の計算の連鎖が始まる。お金を支払う為に、お金を何処からか手に入れなければならない。お金を回すための歯車に組み込まれることになる。現在の世の中の仕組みはお金を中心として、その周りを人間の物質的な欲望が激しく動き回っている。人間が欲望に振り回されながら、のた打ち回っている。太陽の周りを地球が回っているように、お金のまわりを人間がくるくる回っている。人類の歴史でもある。

 自分はお金を中心としたいき方ではなく、人間の志を中心に回りたいと考え、実践している。今回の稲刈りを一生懸命にしてくれた人たちに対して、お金という対価は支払わない。だから収穫したお米を換金する必要は生じない。共育学舎に滞在する人には、無償で食事を提供できることになる。これから1年間多くの人たちの命を支えることになる。最初の第一歩で方向性は決る。お金に向かって第一歩を踏み出せばお金につかまる。志に向かって第一歩を踏み出せば無償の連鎖がスタートする。少なくともお金がなければ生きてはいけない、という常識からは開放される方向に進む事ができる。

 明治以降の日本の教育は、生きるためにはお金が必要だから、賃金労働をすることが大事なことだと教えてきた。言い換えれば賃金労働者を育てる為の教育ともいえる。若者が就活に最大の時間とエネルギーを費やしていることや、賃金労働が合わなくて引きこもっている若者も多くいることも、教育のなせる業である。
富国強兵が経済大国と看板を変えたが、中身は同じこと。

 お金は大事なものである。いくらお金が有っても生きることは出来ない。お金がなくても生きることは出来る。お金とはその程度に大事なものだと思う。

最初に自分がただ働きをすれば、無償の連鎖の第一歩である。その気になれば出来ることである。何故ならばお金がなくても出来ることだから。
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