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2013.9.29運動会

小学校と保育所の運動会を見学した。保育園児(3歳~5歳)22人。小学生55人。1学年平均7人。人口1700人の熊野川町。8年前の合併当時は2000人。年平均40人程度減っている。運動会も人数が少ないのでプログラムの進行がはやい。子供たちは座る暇も無く次々にプログラムをこなしていく。大人が子供を意のままに操る。誰かの指示に従順に従うことがいい事だと刷り込まれていく。誰かの指示に従わない子、従えない子を振り落としていくのが学校教育の役割になっている。その最終仕上げが「就活」だろう。

誰かの指示に従って生きる事が大事なことではないと、多くの若者は気がつき始めている。ではどうすればいいのか模索している。もがいていると言ってもいい。多くの大人という人たちが固く蓋をしてきた問題である。今も蓋をしようとしている。大げさな言い方をすれば、この問題に蓋をしてきたのが人類の歴史でもある。誰かが誰かに指示をして従うことを強制する。強制する手段が、武力であったり、宗教であったり、教育であったり、経済であったり時と場所により変わっているだけである。

自分の生き方は自分で決めたいという欲求が、引きこもりであり、ニートであり、ナリワイに心引かれる若者だろうと思う。自分の人生が自分の意のままにならない、怒り、恨み、悲しみ、虚しさ、寂しさがそうさせているのだろうと思う。それに素直さ優しさが混ざり合うから自分だけではどうすることも出来ない迷路に落ち込んでいく。周囲の無理解がさらに拍車をかけている。

一方で自分は優秀だと勘違いしている若者が、指示する側になろうとしている。自分は一生懸命努力もして勉強もして、公平なルールの元で優秀な成績を取ってきたと言うプライドがある。学校教育の優秀な成績と言う優越感が肝心な人間としての心を曇らせている。

何れにしても子共は大人の鏡である。理屈はいらないだろう。何でもいい。生きていればいい。息をして食べて寝る。是を人生と言う。
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2013.9.26 獣害対策

新しく借り受けた耕作放棄地の周りに獣害対策用の囲いを作っている。5人で作業をして3日で未だ完成しない。時間と手間とお金の掛かる作業である。時間と手間とお金を掛けても防ぎきれない。何もしなければ全滅。食料は何も生産できない。農地ではなく放棄された荒野になる。人間の生命を支える農地が放棄され続けている。一体何人の日本人がこの問題に危機感、問題意識を持っているだろうか。肝心な事は無視され、殊更なことに時間と手間とお金を掛ける。情報に煽られ心静かに生きることを放棄してしまった多くの現代人。心と体が病んでいる多くの現代人。心静かに日常生活を送ることの出来ない多くの現代人。
自分もそんな現代社会の片隅に生きている現代人である。

 自分の生活の場に色々な若者が来ては去っていく。現代社会の環境の中で心を落ち着かせる事は至難の事である。60歳を過ぎても出来ない自分がいる。多くの20代の若者には想像もつかない世界だろう。話して解ることでもない。教えて教えられることでもない。自分にもう少し能力があればと思うことも多々ある。こんな自分で申し訳ないと思うことが多くある。そう考えたところで仕方のない事である。自分の限りある能力でしか出来ない。心が落ちつくまでは、自分の好きなように生きるしかない。迷い悩み続けることしか出来ない。これからも病気ではないけれど、健康ではない現代人が増え続けるだろう。老いも若きも。国荒廃し、国民病み、山河荒ぶる。そんな事にならないように明日も柵を作るか。

2013.9.15~9.22

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 暑さ寒さも彼岸まで 思えばここ1ヶ月間は腰痛の為何も出来なかった。小麦の準備も大幅に遅れてしまった。これから1ヵ月半何とかなるだろう。

 共育学舎は自分が何か事業をする為に人材を求めているわけではない。兵隊を育てる場所ではない。自分で何かが出来る人材が育つ場所である。志が育ち定まる場所だと思っている。自分を踏み台にして巣立っていったらいいと思っている。蓮の花を咲かせる一粒の土である。咲いた花をみる。そこにささやかな自己満足がある。ほんに一瞬の自己満足。

 今までと違うタイプの若者が集まり始めている。一人ひとりの個性を見極めて適切な対応をすることが大事になる。自我を育てるサポート。

920
 日本の社会では正しいことが、正しいと認識されるわけではない。現在の法律に照らし合わせて、明らかに違法なことでも罷り通ることはよくある話である。地域社会に目を向ければそんなことを上げたら切りもなく出てくる。それが村社会だと言えばその通りである。そんなことの積み重ねが地域社会を疲弊に追い込んでいく。小さな北朝鮮の集合体が日本社会だともいえる。法と正義など考えたことない人の、その時々の個人的な利害が優先される社会である。公共とか社会とかの概念が無く、あるのは個人の感情的、即物的な利益だけ。我田引水、村社会を支配している潜在的な力学である。自分もその中の一人として生活している。その色に染まり保護色で身を守るのも、一つの選択肢だということは理性では理解している。そんなことが出来るならば、全く違った生き方をしていることになる。一時の自己満足、長い間の苦悩。自分なりの生き方が今の自分である。今日も苦悩の中で生きている。命の有る間は続く道のりである。


915
 今夜から明け方にかけて台風が来る。2年前のことをふっと思い出す。今回は何事もなければいいが。明日の晩はコンサートの予定。腰痛で寝込んでいる間に秋になったようだ。自分が何を考え何をしようと、一定の法則で時は流れていく。解ってはいるが、、、、、。

2013.9.12「ああこれで死んでもいいな」

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 今日は子供を含め6人が滞在している。自分の家族や近所に住む若者を合わせると10人を超えた夕餉になる。一度しばらくの間空っぽにしたかったが、無理だった。縁に従うということはそういうことでもある。そんな縁の中で舵取りをしていくことになる。人が増えれば気になることも増えてくる。そういえば明日一人増えることなる。何時か若者のあふれる地域にということが、現実味をおびて来ている。周囲では当然のことだが拒否反応も示す人も増えてくることになる。現に既にいる。自分のやり方で進んでいくしかない。これから全てにおいて10年が大きな分かれ目になるだろう。関が原か。石田三成が持久戦をとったら結果は違っただろう。月が沈めば日が昇る。月が沈まなければ日は昇れない。
 
自分も周囲から見たら既に月なのかな。62歳で生まれたばかりの我が子と対面した時に「あぁこれで死んでもいいな」と思ったことを思い出す。あれは我ながら不思議な感覚だった。生物として種の保存に対する本能だろう。でもまさかそんなことを思うとは意外だった。わが子も順調に成長している。甘やかすだけ甘やかし我儘に育てている。彼はよく大声で笑う。きっと日々楽しいのだろう。

2013.9.8~9.10 子育て、ひきこもり、オリンピック

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 腰痛も自分で車の運転が出来るまで回復してきた。体が動かないと心もうまく動かない。
女子大生の頃に来た子が、2歳の子供を連れて1週間の予定で遊びに来ている。お腹には2人目の子供が宿っている。卒業して就職して結婚して子供が生まれて、、、、。話題は子育てのことになる。
都会で核家族での育児の苦労が伝わってくる。田舎での子育ての問題も同じようなものである。共育学舎も今までは単身者を中心に若者を受け入れてきたが、これからは、若い家族も受け入れる体制を整える時期に来た様に思う。今までは4教室だったが、今年度から6教室になった。男女別のドミトリーと家族用の1室を準備中である。今までは無条件で誰でも受け入れていたが、これからは定員等を含め受け入れ条件を変えていこうと思っている。

 色々な目的観価値観を持った若者が地域に定着し始めている。自分の目的観価値観を押し付けないように気をつけるようにしている。これから既成の目的観価値観と軋轢が生じてくることになる。生みの苦しみと言えばそれまでだが、大きな壁がある。自分の心には壁を作らないようには気をつけているが、壁が出来ている。壁をぶち壊し続けるのも楽な作業ではない。作っては壊し作っては壊し。死ぬまで続く作業。この作業の手抜きをしたら自分が自分でいられなくなる。自分が作ったものだから仕方がない。

 最近、不登校やひきこもり経験者の書いた冊子を読む機会があった。以前からその存在に大きな可能性を感じていた。今も感じている。彼らが内心考えていることが、世の中の常識となったとき、人類史上初めての精神が成熟した社会になるだろうと思う。全国に何十万人とそういう若者がいる。その予備軍の子供たちがいる。その芽に蓋をしないで、大事に育てたら多くの人たちが安心するだろう。何時か無用な争いも減少するだろう。
そこに一筋の光がある。

世の中これから益々得も知れない閉塞感が充満するだろう。オリンピックは、その大きな要素になるだろう。短絡的で即物的な政治家しか生まない責任は自分たちにある。自分に出来ることをしていく。

98
 東京でのオリンピック開催が決まった。先回の東京オリンピックのときは、多くの国民が大歓迎したと思う。今回はどうだろうか。個人的には素直に喜べない。一時の歓喜の為に肝心なことを見失うことにならなければいいが。元々スポーツとはそういう要素を持っている。本来は個人の楽しみの範疇のものが、組織や国家の名誉とかにすり替えられてしまう。個の成長の手段であるものが、いつの間にか違うものになってしまう。オリンピックの前にやること、やってほしいことは沢山あると思う。優先順位が違う。借金まみれのものが、見栄をはってお祭り騒ぎをすれば、何が待ち受けているかは解るだろう。

2013.9.7 大災害から2年

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  大水害から丸2年が過ぎた。大事なものを沢山失った。その分新しく大事なものが育つ可能性がある。自分の中にも。
 
  今年の夏は暑かった。夏休みには相変わらず人の出入りが多かった。それぞれに多くの出会いが有り学びがあったと思う。

  米も収穫できた。災害から2年目だが何か違う。病気でもないのに出来が良くない。土が目詰まりしているのだろうか。

  8月22日から、ぎっくり腰で2週間寝たきりの状態だった。治療にも担架でいく始末だった。ようやく恐る恐る歩けるようになった。寝たきりのリハーサルをした。現実にならないように気をつけよう。

  共育学舎の運営を切り替えようと考えていた矢先のことでもあった。もう一歩立ち止まり、考え直せということだろう。これも天の配剤か。
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